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にゃまんだぶは宇宙を救う!

にゃまんだぶが如何に宇宙を救うのかの漫画

死んだらみんな仏様?

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時代劇などで、死体をみて「仏さんは〜」などという場合があります。死体=仏様では、もちろん決してありません。死後、全員が仏様になる訳でもありません。死後、どんなに追善供養をして死後の行き先を、少しでも良い所にいけるようにと、七日七日と、お経をあげて貰ったりしますが、生きているうちにお念仏に出遇ってなければ、仏様にはなれないでしょう。これは、七日毎に死後の行き先を決める審判があるので、その時に少しでも審判が有利になるようにという、生きているものが、死んだものの行き先を案じて行われるものです。この死後の行き先が決まるまでの間を中有(ちゅうう)または、中陰(ちゅういん)と言います。この期間が7日×7の49日なのです。

浄土真宗以外の中陰参り等を、どの様な意識でされているのかは、分からないのですが、浄土真宗では、生前にお念仏に出遇った方の死の場合は、往生即成仏と、いって、死後直ちに極楽浄土に往き悟りを開かせて頂くとなっています。なので、亡くなった時から、御遺体は仏様が、この世に残された肉体なのです。でも、御遺体に向かって手を合わせるのではなく、必ず南無阿弥陀仏のお名号(南無阿弥陀仏)を御遺体近くに設置してお名号に、手を合わせますし、お仏壇があればお仏壇に手を合わせます。なぜなら、お浄土に凡夫(ぼんぶ)である、煩悩にまみれて生き抜いた、仏の種になる事を、何一つ持ち合わせていない人間を、お浄土に生まれさせて仏とならせて頂くのは、阿弥陀様の本願力、お名号(南無阿弥陀)のお力以外には、何もないからです。

 仏様となられた方に手を合わせる時、南無阿弥陀のお念仏申して、仏様とならせて頂く事に御礼を申し、亡き方に語りかけましょう。

  お念仏申す、手を合わせる機会を作って頂いた事に、感謝申しましょう。もちろん、愛する人を無くし、錯乱状態になってしまわれる方もいるでしょう。後悔の念が押し寄せることもあるでしょうし、嫌いな人であれば、やっと亡くなったと、ホッとされる方もいるでしょう。その、様々な心に阿弥陀様はそれぞれに寄り添ってくださいます。

浄土真宗の中陰参りや、ご法事は仏縁に合わせて頂く、生きている私達の為のものです。そして、その仏縁に遇う私達を喜び、褒め称えて下さるのが、阿弥陀様と、亡くなって仏になられたあなたの大切な方々、そして祖先の方々です。

亡くなった方は、念仏に出遇う事も仏縁に遇う事もなかったと、心配されるかもしれませんが、安心して下さい。あなたが今、お念仏申して、あなたが仏となり、縁のある方々を救う事ができるのです。例え地獄に落ちたとしても、地獄の一日は、人間界の50年を一昼夜として500年の寿命の天界の寿命を一昼夜として500年の寿命。仏様の寿命は無量です。あなたがこの世を終えて救いに行ったとしても、直ぐに助けに来た様な気がすることでしょう。生きている間に間違いなく、仏様になる道を歩かれる事が何より大切なのです。仏縁である、ご法事や、法要を大切にしましょうと、いいますか、阿弥陀様の有難さに気付いて来ると大切にせざるを得ない身体になるのですけれどね。このお話はまたいつか。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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阿修羅道と人間道って、どんなところ?

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阿修羅道は、三悪道に比べると、往生要集には、さらっと書いてあるのですが、戦いに怯えて、攻め道具から日に三度攻撃を受け、その様々な憂いや苦しみは説きつくす事が出来ないと書かれています。たった一日の喧嘩でも憂鬱だというのに、一日中の憂鬱とは。元々天界での喧嘩が元で、憎しみから自分の正義をかざして、許す心が無くなったので、争いをやめる事が出来なくなった事が原因で、阿修羅に関しては、お経によって扱いも違うようですが、どんな美味しいものを食べても最後に砂の味がするというのは、砂を噛むような思いといいますが、これも苦しい世界ですね。元々、天界の別れなので、寿命も同じくらいながいです。その長い一生を争いに明け暮れ、怯え続けるとは、苦しくて悲しい世界ですね。

次に、いよいよ人間界です。往生要集では、人間の肉体の醜さをしつこいほどに書かれてうんざりするのですが、厭離穢土(オンリエド欣求浄土(ゴングジョウド)が、往生要集の重要ポイントなので、この世の穢(けが)れを嫌って、浄土を求めよというところなので、人間の穢れを詳しく書かれているのですが、どんな美人でも○そ袋に目鼻を書いたようなものだという、表現は激しすぎて驚きますが、人間の肉体の内部にも詳しく書かれていて、医学の知識がなければ、書けないような詳しさです。

 人間の苦しみといえば、四苦八苦が有名なので、人間道がなぜ苦しいかという事を説明しましょう。

  四苦とは、生老病死(ショウロウビョウシ)①生きる苦しみ。②老いていく苦しみ③病気になる苦しみ④必ず死ぬという苦しみ。が、あります。八苦なので、あと、四つは、⑤愛別離苦(アイベツリク)愛する人との別れる苦しみ⑥怨憎会苦(オンゾウエク)怨み憎んでいるものに会うこと⑦求不得苦(グフトクク)求めるものが得られない事⑧五蘊盛苦(ゴウンジョウク)人間の肉体と精神が思うままにならない苦しみ。この八つを四苦八苦といいます。 

この、人生は四苦八苦と言われるのは、るんるん、キャピキャピ、と、生きて行きたい人にとっては、辛いといいますか、楽しく明るくポジティブに行きたい人には、仏教って、暗いなあと、思われるかもしれませんが、楽しい事だけを求め続けると、天界の二の舞となるかもしれません。 若くて可愛くて健康である時には、ぴんと来ないのかも、しれませんが、若い時にも、別れの苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみなど、様々な苦しみに出会います。そんな時に是非、阿弥陀様の優しい心に出会って安心して人生を生き抜いて欲しいと思います。

これらの、六道の世界を迷いの世界であり、この世界を超えた所に、仏様の世界があります。阿弥陀様は、六道に迷い続ける私達を憐れんで、我が名を呼べば必ず救う。私の作ったお浄土に必ず生まれさせて、悟りを開かせると誓われ、その力を持たれたのです。安心して、おまかせして生きましょう。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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三悪道(サンマクドウ)って、どんなところ?

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六道の中で、苦しみの多い順に①地獄②餓鬼③畜生の三つを三悪道(サンマクドウ)と、呼ばれています。地獄の説明が、源信和尚(カショウ)の書かれた往生要集にも、他の五道に比べて、一番詳しく書かれています。一番、私達が行く可能性のある場所なので、詳しく説明して下さっているのでしょう。地獄にも軽い地獄から、一番激しい地獄まで、罪によって様々な地獄のの責め苦があります。一番軽い地獄から①等活(トウカツ)地獄②黒縄(コクジョウ)地獄③衆合(シュゴウ)地獄④叫喚(キョウカン)地獄⑤大叫喚(ダイキョウカン)地獄⑥焦熱(ショウネツ)地獄⑦大焦熱(ダイショウネツ)⑧無間(ムケン)地獄となっていますが、この地獄の寿命がまた、天上界どころではないのです。人間世界の五十年を一昼夜として四天王天(シテンノウテン)の寿命は五百年ですが、その四天王天の寿命を、この等活地獄の一昼夜として、この地獄の罪人の寿命は五百年というのです。切り刻まれてこなごなになって死んだと思っても、直ぐにいきかえらせられるのです。寿命が来るまでは延々と責め苦を受け付けなくてはならないのです。その罪は殺生(セッショウ)です。どうでしょうか?今迄に生き物の命を奪ったことのない方は、いらっしゃるでしょうか?

私も、殺生をせずに、ここまで生きてきていません。今迄に、どれ位の肉を食べてきましたか?肉一切れを口にするにも、一匹、一頭の命を奪っているのです。自分で殺してなければ良いのですか?委託殺人(人に殺人をさせる)の罪も重いですよ。家畜で食肉用だから良いのですか?仏教では、牛一頭も虫一匹も同じ命とみています。 今、不倫だとかが、よくニュースになったりしましたが、邪(よこしま)な人の行く地獄も用意されています。これらの地獄は、鬼が作ったのでも、閻魔様が作ったのでもありません。罪を犯した人が自分で作り出す世界なのです。自分の行いによるで、これを仏教では業(ゴウ)といいます。自分の業によって自分を苦しめることが地獄の苦しみなのです。

 次に餓鬼(ガキ)道の世界ですが、様々な餓鬼の姿が、往生要集には、書かれていますが、ものを惜しみ貪り、人を妬む者が餓鬼道に落ちると言われています。食べたいものが目の前にあっても、食べようとすれば、燃え上がり、水を飲みたいと思っても水が火にかわってたべれないのです。人間の一月を一昼夜として、寿命は五百歳です。

  次に、アミたんとラブたんと蝶々も、水の中の生物達も、畜生道といい、人間界と同じ世界に住んでいますが、弱肉強食であり、家畜とされたり、様々な方法で死ぬ苦しみと日々恐れを抱いて生きています。この世界に生まれるのは愚痴無慚(グチムザン)愚かで反省する事がなく、信の上の施物をいたずらに受け、他のもので償わなかったものがこの報いを受けると書かれています。信の上の施物って、信者を騙して暴利な利益を得るとか…、オレオレ詐欺もそうですね。

 

  この三悪道については、読めば読むほど恐ろしいのです。なぜかというと、これは自分のしてきたことではないのか?と、思った時に死後の世界は恐ろしいものとなるのです。親鸞聖人は、地獄に行くに、間違いない我が身が、阿弥陀様によって救われたと、喜んでいらっしゃいます。

 

 何しろ、仏説無量寿経に書かれている、四十八願の第一願に

「国に地獄・餓鬼・畜生あらば悟りをひらかない」と、誓われているのです。そして、この願いは叶っているので、本願力でしたね。このブログを読んだ方は、三悪道に決して落ちることがないという事ですね。よかったですね。なぜって、阿弥陀様がそのようにはからってくださるからです。阿弥陀様におまかせしていれば大丈夫だからです。お礼のお念仏も出てきませんか?にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏)にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏)。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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天上界ってどんなところ?

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六道の中で一番上の、苦しみの少ないと言われている、天上界がどんなところか、まずは、みてみましょう。地獄から描くかどうかを悩んだところなのですが、地獄の絵って見るのもまあまあ、嫌なのに、どうやって描けばいいのだろう。と、思って天上界からとなりましたが、天上界も結構ややこしくて、天国が一つポンとあるわけでなく、ここも生前のいい事や、修行の結果として行く世界なので、様々なランク分けがされているのです。

 

 大学に行くのでも、東大に行くのかハーバード大学にいくのか、努力と実力によって行く世界が分かれるのは、何処の世界も一緒という事ですね。天上界のことも往生要集に書かれているのですが、広い世界なのでと忉利天を代表して説明しています。

  帝釈天とか、聞いた事がありますよね。この天と、いうのは、インドでの神様にあたります。その他にも、様々な天上界の世界を調べていくと、様々な宗派の神様も、この天上界にいらっしゃる気もしますが、断定するのは、他の宗派の方には面白くない話のようですので、詳しくはやめておきましょう。ただ、天上界には、欲界と、色界と、無色界の、三つの世界に大きく分けると分かれており、無色界の天上界は、精神だけの世界になるので、色も形もありません。この無色界の一番上の世界を有頂天といいますが、ここにいても地獄に落ちる事があります。欲界にも六つの世界があり、下から二番目の天上界を忉利天といいます。また、忉利天に帝釈天は住んでいます。寿命は、1000歳で一昼夜は人間界の100年に相当します。これも、天界によって寿命が違います。上に行くほど伸びていきます。人間に比べたら、神様のように崇めるのもわからないでも無いですね。

 

  天人は長寿で、空をとぶなどの神通力が使え、快楽に満ち、苦しみがないと聞けば、ここにラブたんでなくても行きたくなりますね。でも、天道も六道のうちの一つで、天人は不死ではなく、天人が死ぬ前に天人五衰(てんにんごすい)という兆しが現れ、死ねば他の衆生と同じように六道の何れかに転生します。

 

 天人五衰①衣服が垢で油染みる②頭の上の花飾りが枯れる③身体が汚れて臭い出す④腋の下から汗が流れ出る⑤自分の席がなくなる。ここだけ、みると、そんな事って、日常的に私達はあるのですが、何しろ今までが、快楽だけの世界で苦しみに対しての免疫が一切ない天人にとっては、地獄の16倍の苦しみとなるのです。地獄の16倍の苦しみならば、天上界がどんなに長い間苦しみがないといっても、地獄より苦しい世界となりますね。

いよいよ、次は地獄ですかね…。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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死んだら何処に行くの?

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仏教では、 死んだら、生きている時の行いによって六道輪廻(ロクドウリンネ)すると言われています。つまり、迷いの世界である、六つの世界に生まれ変わると言われています。

 

 苦しみの多い方から①地獄②餓鬼③畜生④阿修羅⑤人⑥天となっています。それぞれどんな事をすれば行けて、どんな世界かを詳しく書いてあるのが、「往生要集」オウジョウヨウシュウという本です。日本の平安時代源信僧都(ゲンシンソウズ)=源信和尚(ゲンシンカショウ)がお経から抜き出して書かれた本ですが、そのまま読むとちょっとというか、すごく難しいので、今は現代語訳も出ているので、読んでみるのもおススメします。

  私達、これを読んでいるのは人間がほとんどだとは思う(阿弥陀様はもちろんご存知)のですが、アミたんとラブたんは畜生という、人間以外の動物昆虫は畜生になります。

 

  死んだ後に、生まれ変わると、言われてもピンと来ませんか?怪しい宗教に思いますか?科学が証明しないものは信じませんか?実は私も、生まれ変わりは必ずある。という実感は、湧いていません。目の前に、ああ、この虫はあの人の生まれ変わりだとか、実感すれば思うのかもしれませんが、自分の目で見なければ信じられないという人は沢山いますね。仏教を勉強すると、絶対はないというか、人間が認識できる事はほんの僅かであるという事が、わかってきます。死後に六道という、苦しみの世界、迷いの世界があるという、前提をそのまま受け取るのか、いや、これは何か別の事を人間にわかるように表現されているのだと、様々な見方は出来ると思います。ここでは、素直に、そのままみていきましょう。

 

 

生まれ変わりは、あるのかないのかはっきりさせたい方は、どうぞお調べ下さい。ブータンチベット仏教では、しっかりと輪廻の思想が今でも息づいていて、高僧の生まれ変わりも沢山いらっしゃいます。スピリチュアルの世界では、自分の過去生を、みて頂ける事がありますね。私も色々みて頂いた事がありますが、どれもピンとこないというか、そうかなあ?という疑問を持ちながら聞いてしまいました。きっと、その時に思い出せた人は過去生は、あると自信を持って言えるのでしょうね。

六道という、迷いの世界が、どんなものかをみていきましょう。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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お浄土にはいつ行くの?

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 お浄土には、死なないと行けないのです。随分と先の話のようですね。いつ頃、死ぬ予定ですか?わからないですよね。何十年後かもしれないし、一年後かもしれないし、明日かもしれません。この世に生まれたら、早かれ遅かれ、どの命も必ず死ななければなりません。仏教では生死(しょうじ)と、読むのですが、生きる事と死ぬ事は裏表で、切っても切れない関係なのです。死なない為には、生まれなければ良いのですが、いま、こうして生きているということは、100パーセント死にます。どんなに健康で長生き出来たとしても、死だけは誰にも平等に訪れます。

 

 

  お浄土に行くのは死んだ後の話なら、今から心配しても仕方ないですね。お葬式に行った事がありますか?お葬儀などで、色々なことを聞きますね。

 

  ご冥福をお祈りします。草葉の影から見守って下さい。空の上から見守って下さい。天国から見守って下さい。地獄の釜の蓋が開いているお盆にこの世に帰ってくるとか、あ、最近の流行りは、死んだら無になるですかね。死んだら、終いとか、終わりとかも、よく聞きますね。だから、生きている間は、楽しい事、好きな事を楽しみましょうという事ですよね。行き先が決まっていれば、人生は旅ですが、行き先が分からず、今どこにいるのか分からず生きつづけるのは、徘徊であり、迷子ですよね。あ、何もかも無くなるから、死んだらゴミになると、悲しい事を言われた方もいましたね。まあ、まあ、色んな表現がありますが、で、今、これを読まれているあなたは、死んだ後に何処に行きますか?死んだら、どうなりますか?

 

 

ラブたんのように、死ぬ事なんて、縁起でもないから、聞きたくないですか?浄土真宗では、死後の問題を、これを後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)といいます。

この後生の一大事をあきらかにする事が、今、生きている事の大問題なのです。なので、聞きたくない人も、聞いてまいりましょう。私達は、どこから来て何処へ往くのか?この問題が、はっきりすると驚くほど生きてる意味がわかってきますよ。

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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お浄土に行ってみたい

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 ラブたんは、お母さん(ママ)に似ている、お母さん(ママ)より優しい阿弥陀様の事がちょっと気になって来ましたね。お母さん(ママ)みたいな阿弥陀様が私達を救う為に作ったお浄土に、ちょっと興味が出てきました。

 

 

  とっても、優しいママみたいな阿弥陀様が作った国だから、楽しくて美味しいものが何でも食べれる苦しみのない優しい国がお浄土だったら、一回くらい行ってみてもいいですよね。遊園地や動物園よりも楽しいかもしれないですものね。

 

  お浄土には、沢山の色とりどりの蓮の花が咲き乱れて、ウットリするような音楽が常に流れていて、そこにある池の水も、冷たくないし、自分の思い通りの深さになるし、自在に何処にでも行く事が出来るし、宝石を散りばめて作ったような木々があり、美しい鳥達が沢山いるのですよ。

 

 百聞は一見に如かず。見たいですよね。私も見てみたいです。でも、今、私達では、極楽浄土をこの目に見る事は出来ません。

悟りの世界を見る事が出来るのは、悟ったものだけ(仏様)なのです。仏説観無量寿経(ブッセツカンムリョウジュキョウ)には、お浄土の世界を観じる(心で想像して観る)事によってお浄土を目の前に現す、今で言う瞑想(メイソウ)のような方法が説かれています。これは、自力の行(自分の力で努力して仏になる為の行い)なのです。座禅や、ヨガ、厳しい修行なども同じです。親鸞聖人(シンランショウニン)は、9才でで得度(お坊さんになる事)を、されて29才で比叡山(ヒエイザン)を降りて、法然聖人の教え(浄土門)を受けるまで、厳しい修行をされて、迷いの身から、悟りの道を求め続けられました。お浄土を、今ここでみよう(迷いの世界を離れよう)と努力され続けていたのです。

二十年間も厳しい修行を続けられた親鸞様でも見る事の出来なかったお浄土をラブたんが、行ってみようかなあと、思っても無理って言われた意味がわかりましたね。でも、私達の為に、阿弥陀様が私達の為に作られたお浄土にどうしたらいけるのでしょうか?

 ではまた。

 にゃまんだぶ(南無阿弥陀仏

 

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